「漂流密室」取材記 2000年3月20日


■屋久島MAP
(白谷雲水峡案内より)

20日(火) その2

屋久島の西部林道は、二十数キロにわたって民家がなく、まさに緑のトンネルだ。
こんなところを夜ひとりで歩いたら、確実に死につながるであろう。オレの場合。(笑)





屋久島燈台では小学生の遠足に出会った。

そこのけ、そこのけ、おうまがとおる。

まつばんだレンタカーの軽自動車が小学生の群をかきわけて進む。

 

燈台からは、雨の屋久島が見渡せる。どんよりと曇った空からは、思い出したかのように雨がパラパラと落ちてくる。風がうなりをあげて、まるで、鬼が哭(な)いているかのようだ。

真っ白な燈台は、天気のいい日には、青海原を背景にくっきりと映えるのだろうが、今日は雨にそぼ濡れて、鼠色に染まっている。



小学生たちは、周囲を走り回って騒いでいたが、出発の時刻になると、
「せんせー、帰りも歩きー?」
「あたりまえでしょ!」
という会話が引率の先生とのあいだにかわされた。

五分差くらいで燈台をあとにしたオレは、とぼとぼと道を歩く小学生に向かって、窓から、すずめのこ、そこのけそこのけ、おうまがとおる、と、ねぎらいの声をかけつつ、アクセルを踏み込むのであった。

二時過ぎに予定通り、島を一周ちかくまわって、宮之浦着。





昨日は閉まっていた環境文化村センターに車をとめて、資料集め。
喫茶店でパッションジュースとハンバーグカレーを食べてから、アイマックスシアターで屋久島の映画を観る。迫力あるなぁ。
受け付けの女の子がかわいかったので、ボーっとみとれていたが、
「いかん、これじゃ、ひひじじい丸出しじゃないか」
ヤクスギランドの不倫カップルを思い出して、自らの頬をむち打って、次なる取材先へ。(笑)

資料集めは、安房の屋久杉自然館にて。
取材になくてはならないのが、現地の人の生の声と文章資料だ。特に、絶版になった本や地方出版社の出している本は、現地に飛ばないと手にはいらない。これは、ネットが普及しても変わらない。
屋久杉自然館は、体験型の博物館で、実際に屋久島の木に触れることができる。キューブ状になった、さまざまな種類の木に触って、持ち上げて、自然と人間の「共生」を実感できる仕組み。
受け付けで本をたくさん買い込んでいたら、ただ者でないと思われたのか、館長の日下田氏に声をかけられた。

むーん、かなり、勉強になった。

●ヤクスギは切り株の上に育つ
●まったく伐ってはいけない、という都会人の思い込みは、現地では通用しない
●琉球と同じように王偏がついているからといって、「王夜王久」が別の王朝だと誤解している人がいるが、文化的な経緯としては、あくまでも大和文化圏に属する。その証拠がどんと焼き。正月に焚き火をする風習だそうで、屋久島が、そういう風習の南限なのだろいう

そのほか、花崗岩と熊毛層群のちがいや、遣唐使の話などをうかがう。

取材で豊富な資料を手にして嬉しい。

屋久島ロイヤルホテルに帰ると部屋が代わっていた。
林芙美子が「浮雲」を執筆するために二ヶ月間逗留した部屋だそうだ。
JR西日本軍団の嵐が去って、ようやく、部屋があいたらしい。(笑)

201号室。
絶景なり。
部屋も三倍くらいの広さがあるよ。
女中部屋から特等室へ。



これだから、旅は、いきあたりばったりが面白い。
オレは、いつも文句ばかりいっているようだが、実は、そうでもない。
わざと、こういう「変化」を楽しんでいるようなところがある。
だから、畳に穴があいていたり、お膳がひっくり返ったりしたほうが、退屈しない。

昨日は見えなかった安房川の流れが目の前に。
モスグリーンの羊羹(ようかん)のようなゆったりした流れが手前岳のほうへ吸い込まれていく。
仲居さんの言葉遣いでは、「前岳」ではなく「手前岳」だったが、単に手前にあるからなのか、ちょっと混乱。



昨日同様、疲労困憊で、飯を食ったあと、すぐに就寝。
飯は、昨日よりも今日のほうが豪華だったなぁ。
二日目だからか。
昨日は蟹だったが、今日はロブスターで、オレは、ロブスターのほうが好きだからな。


BACK TOPへ NEXT