第22回
「アイスナノチューブ」の驚き
 ナノテクの世界は基礎科学と応用科学の中間領域にある。それは「ナノ」の世界が量子物理学と古典物理学の境目にあることとも深く関係しているだろう。

 私は学生時代の専門分野が宇宙とか素粒子だったし,物理基礎論を中心に勉強していたこともあるので,量子力学については,かなり広範囲に,理論や実験の結果や解釈にかかわる論争などもフォローしてきたつもりだ。でも,日経ナノテクノロジーの連載を始めてから,正直いって,常識に反する結果に驚かされることが多い。

 純粋に量子力学的な発想でも,純粋に古典物理学的な発想でも予期できない結果は,ある意味,ナノテクの真骨頂といえるかもしれない。

 すでに去年の暮に大々的に発表されたので,ご存知の方も多いかと思うが,今回は,東京都立大学と産業技術総合研究所が中心となって発見した「アイスナノチューブ」について考えてみたい。

 すでにニュース価値はないかもしれないが,このコラムは,必ずしもニュース速報というわけでもなく,わりあい自由にナノテク関係の基礎研究をとりあげてよいことになっているので,お許し願いたい。

 2005年1月11日付のChemical Physics Letters 401 (2005) pp. 533-537.に「Ordered water inside carbon nanotubes: Formation of pentagonal to octagonal ice-nanotubes」という題で掲載された論文は,東京都立大学の真庭 豊(まにわ・ゆたか)助教授独立行政法人 産業技術総合研究所の片浦 弘道(かたうら・ひろみち)主任研究員らによるもの。

 X線回折の技法を用いて,単層ナノチューブの中の氷のふるまいが明らかにされた。

 X線回折といえば,ありふれた手法で,思わず,学生の頃も学生実験をやらされたなぁ,などという感想を抱いてしまうが,今回のアイスナノチューブの研究は,高エネルギー加速器研究機構(KEK)フォトンファクトリーを使って実験が行なわれている。ようするにナノチューブの中の水分子は電子顕微鏡では見えないが,特別な工夫により,X線回折で調べられる,というのである。

 通常,細い管の中の氷は,管が細くなるほど融けやすくなる(=融点が低くなる)ものだが,ナノチューブほど細くなると,結果は逆で,管が細くなると融けにくくなる(=融点が高くなる)のだという。この発見は,これまでの常識に反しているという意味で,ナノテクの醍醐味といえる。直径1.17nmのナノチューブ内に成長する,環状になった五つの水分子は,27℃という室温で氷になる(図1)。

 素人考えでは,高気圧で「固めて」やれば室温でも氷は作ることができるから,ナノチューブの中は気圧が高いのか,などと思ってしまうが,研究発表では「水分子が作る環状クラスターの安定性と深い関係がある」と推測されているので,やはり量子力学的な効果が強く出ているのだろう。この現象の理論的な説明とともに,今後のさらなる実験研究が望まれる。

 さて,気になる応用の可能性だが,減圧して温度を45℃まで上げるとナノチューブ内の水が気化して吹き出す現象が確認されている。これは,次世代のインクジェットに使えるかもしれない。実際,構造の異なる単層ナノチューブは,異なる波長の光しか吸収しないため,単色のレーザーを照射することにより,お目当ての単層ナノチューブだけを加熱することが可能だという(図2)。

 今回の研究は,基礎科学の領域の「謎」を残しつつ,実用化が視野に入っているという点で,現代のナノテク研究の雛形といえるかもしれない。物理学的な「直観」が裏切られるのだなぁ,という感想を抱くと同時に,まるでミニチュア模型に興じている子供のような気持ちになった。

【図1】単層ナノチューブ内では室温で氷ができる)
【図1】単層ナノチューブ内では室温で氷ができる)

【図2】次世代インクジェットのイメージ図。単色レーザーで特定のナノチューブだけからインクを噴出させることが可能)
【図2】次世代インクジェットのイメージ図。単色レーザーで特定のナノチューブだけからインクを噴出させることが可能)


(初出:日経ナノテクノロジー)


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