第12回
「光合成と励起子とナノテク」


 このコラムは、もともと「実用化までには少し時間がかかるかもしれない科学の話題」を自由に書くことになっているのだが、ここ数回、それなりに真面目に 論文の速報をお届けしてきた。
 今回は、肩の力を抜いて、少し気楽に書かせてもらうことにする。(毎回、堅くなったり柔らかくなったり、試行錯誤中。ご注意ください)
 光合成とナノテクに関係した理論研究を科学ライターの目で追ってみた。

 実は、先日、日経ナノテクノロジー誌編集長の黒川氏とライターの山本氏、佐藤氏と編集会議風の打ち合わせをやったとき、
「そもそもナノテクとは何か?」
 ということが話題になった。最終的に、私は、
「ナノメートルのサイズならなんでもいいんだろう」
 という勝手な理解に到達したのだが、みんなが、口々に、
「でも、よくわからないよね。あまりにも学際的で」
 という意見を表明していたのが印象的だった。

 Nature誌をパラパラとめくっていたら、まさに学際的なナノテクのニュースに出会った。news and views欄に「植物のための量子力学」(Quantum mechanics for plants)という目を引く題名の解説記事があって、思わず読み始めて、その勢いで関連論文も取り寄せてみた。
 ブルックヘイヴン国立研究所のS. JangとM. D. Newton、マサチューセッツ工科大学のR. J. Silbeyの3名による共著論文は「Multichromophoric Forster Resonance Energy Transfer」(複数の色素分子によるフェルスター共鳴エネルギー転移?)という題名で、50年以上も前に提唱されたTh. Forsterによる「一つの色素分子からもう一つの色素分子へのエネルギーの転移」に関する理論を「複数の色素分子」にまで拡げたものだ。
 
 ここに出てくる色素分子とはなんだろう?
 Chlomophoreをリーダーズ英和辞典で引くと「発色団」という訳語になっていて、「有機化合物が染料になるために必要な要素」とあって訳がわか らないが……ようするに「光を吸収する分子」のことだろう。具体的にどんな姿形をしているのか調べてみると、2001年1月の日 本物理学会誌の表紙に出ていた。表紙とその説明を引用してみよう。


( 光合成細菌の一種であるRhodopseudomonas acidophilaの光捕集アンテナ複合体LH2の立体構造(PDBコード1kzu)。これは細菌の膜に存在する膜タンパク質で,光合成に必要な光を効 率よく集める。この構造は9つのサブユニットが円形に並び,各サブユニットは2つのタンパク質チェイン(緑色)により構成されている。これらのタンパク質 はその螺旋構造(αヘリックス)を膜に垂直に突き通すように存在し,色素分子であるバクテリオクロロフィル(赤色)とカロテノイド(黄色)を固定してい る。詳細は本号向井宏一郎氏,他著 最近の研究から欄参照。(電子技術総合研究所 諏訪牧子氏))

 RhodopseudomonasLH2に ついては、ネットにきれいな画像がたくさんある。

 日本物理学会誌や他のLH2の画像をご覧いただくと、輪っかのような形をして、距離をおいて円形に並んでいるB800と呼ばれるバクテリオクロロフィル と、同じように輪っかの形をしているが近距離でくっついて円陣を組んでいるB850と呼ばれるバクテリオクロロフィルが識別できるだろう。800や850 というのは「800nmや850nmの光を吸収する」という意味である。

 色素分子が光子を捕まえると励起状態になるが、1ピコ秒以内に、その励起エネルギーは、カロテノイドからB800とB850へ、そして、B800から B850へと流れる。


(説明図はhttp: //www.cartage.org.lb/en/themes/Sciences/Physics/MolecularPhysics/Excitation/Excitation/Excitation.htm より。この図では光子を吸収して励起状態となった葉緑素bから葉緑素aに励起エネルギーが転移しているが、これと同様に、B800からB850にエネル ギーが転移する)

 ここで面白いのは、アンテナ全体が非常に「密な構造」になっていることだ。実際、分子間の距離は、個々の分子の大きさよりも小さい。まさに満員電車のよ うにぎゅうぎゅう詰めになっているのである。このため、エネルギーの送り手と受け手の波動関数が、重なる領域で「どんな形をしているか」によって、エネル ギー転移率が大きく左右されることになる。

 50年前にTh. Forsterは、送り手(donor)となる色素分子のスペクトルの蛍光バンドと受け手(acceptor)の色素分子のスペクトルの吸収バンドが重な ることから、理論を構築した。



(説明図はhttp: //www.cartage.org.lb/en/themes/Sciences/Physics/MolecularPhysics/Excitation/Excitation/Excitation.htm より。Fは蛍光、Aは吸収を意味する。やはりB800とB850に置き換えていただきたい)

 だが、Forsterの理論は、単独の色素分子どうしのエネルギーの受け渡しの場合にはなりたつが、複数の色素分子がかかわってくると、スペクトルを調 べるだけではエネルギーの転移率を精確に見積もることはできなくなる。理論の一般化が長年の懸案だったのである。

 今回のS. Jangらによる研究は、論文を読んで見ると、随所でオリジナリティを強調しているが、実は、ここ数年、日本の筑波大学と産業技術総合研究所の向井宏一 郎、阿部修治、住斉らによって提唱されてきたForester理論の一般化と応用の研究に微修正を加えたもののように思われる。(たとえばH. Sumi, J. Phys. Chem. B 103, 252(1999)、K. Mukai, S. Abe, and H. Sumi, J. Phys. Chem. B 103, 6096(1999)などを参照。また、G. D. Scholes and G. R. Fleming, J. Phys. Chem. B 104, 1854(2004)も参照)
 日本の研究は、どうしても世界への発信という点で遅れをとってしまい、霞みがちだ。
 たとえば、論文のeprintがpdfファイルでネットから手に入れられるかどうかで、研究の宣伝効果には大きな差が出る。この点、欧米の研究者は、か なり積極的にネットに情報を提供しているように感じるが、私の思い過ごしだろうか。

 励起子によるエネルギー転移は量子力学的な過程だ。それがバクテリアの光捕集系を支配している。
 で、これがナノテクとどう関係するのか?
 大いに関係する。
 たとえば共役高分子や量子ドット・アレイも、「密集構造における励起子の活躍」という観点からは、LH2の光捕集系と同じである。つまり、バクテリアの 光捕集の仕組みを研究することにより、ナノ領域の光電子工学への応用が期待されるのだ。

 今回は、話題として面白かったので、ついつい、自分の守備範囲からさまよい出て(勉強しながら)コラムを書いてしまった。事実関係などの誤りがあるやも しれぬ。お気づきの点は、ご指摘くだされば幸いである。(次回は、また、淡々と最新科学ニュースをお届けするつもりです。)


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