第11回
「ナノ機械共振器を使った新しい量子コンピュータの提案」


 ナノ機械共振器とジョセフソン接合を組み合わせた新たな量子コンピュータ設計の提案が注目を集めている。
 カリフォルニア大学サンタバーバラ校教授のA.N.Cleland氏とジョージア大学準教授のM.R.Geller氏が8月13日付の「Physical Review Letters」誌に発表したもの。(Phys. Rev. Lett. 93, 070501 (2004), Cleland氏研究室のサイトから入手可能。Philip Ballによるオンライン版「Nature」の解説記事も参照されたい)

 量子コンピュータは古典的なビット("0"と"1")のかわりに量子ビットを用いて計算が行なわれる。量子ビットは"0"と"1"の重ね合わせになっているため,情報量が多く,高速かつ大量の計算を行なうことができる。だが,依然として3量子ビットまたは4量子ビットのものまでしか実現されておらず,実用化にはほど遠い情況だ。

 その最大の理由は,肝心要の量子的な重ね合わせがデリケートで壊れやすい点にある。データが壊れては元も子もないから周囲の環境から充分に隔離してやる必要があるが,コンピュータとして使うためには,書き込んだり読み取ったりできなくてはいけない。この二つの条件の両立は困難をきわめる。

 もう一つ,量子コンピュータの実現を拒んでいるのが,スケールの問題だ。いくら情報量が多いとはいえ,現在の古典コンピュータに匹敵するデータ処理を行なうためには,それなりに大きな量子ビットが必要となる。だが、今のところ、数量子ビットよりも大きな量子コンピュータをつくることに成功した人はいない。

 これまで,量子ビットは,光学的に光子の偏光として符号化する方法と固体的に実現する方法が提案されてきた。後者は現在のコンピュータのチップと同じ発想であり,光学的な方法よりも実用的だと考えられてきた。

 今回のCleland氏らの提案は,半分は実験的に検証されているが,残りの半分は理論的な提案にとどまっている点に注意する必要がある。ナノ機械共振器に量子ビットを貯蔵できることは実験的に確かめられているが,ジョセフソン接合を組み合わせる可能性は,まだ理論段階にある。

 鍵となるナノ機械共振器は窒化アルミ(AlN)が素材で,高い共鳴振動数ときわめて高いQ値をもつ。4.2Kでは,共鳴振動数は1.8GHzであり,Q値は3500であった。この共鳴振動数はジョゼフソン接合のエネルギー準位と同程度であり,また,高いQ値は300nsもの間,エネルギーが減衰せずに貯蔵されうることを意味する。

 ジョゼフソン接合は一つまたは二つの励起状態をもつ。このエネルギー状態の重ね合わせを量子ビットとして使うことが可能だ。ジョゼフソン素子が原子とちがうのは,バイアス電圧をかけることにより,エネルギー準位が微調整可能な点だ。いわば「小さな人工原子」なのである。

 Cleland氏らの提案は、きわめてわかりやすい。まず、ジョゼフソン接合をナノ機械共振器につなぐ。バイアス電圧を調整すると,ある時点でジョゼフソン接合のエネルギー準位がナノ機械共振器の共鳴振動数と一致する。すると,量子ビットは共振器へと「移動する」ことになる。

 Cleland氏らの提案は,ある意味,光学的だといえる。なぜならば,ジョゼフソン接合から量子ビットが出てナノ機械共振器に貯蔵されることは,原子から放出された光子が光学キャビティに貯蔵されるのと同じ原理だからだ。

 今回の提案が目新しいのは,ジョゼフソン接合を「機械的」に共振器につなげようという点だろう。ただ,本当につなげてうまくゆくかどうかは,今後の実験的な検証を待つしかない。

Cleland氏は本誌の取材に対して、次のようにコメントした。
「2量子ビットの構造をもつ共振器は、実際に一年以内に実現可能だと思う。もっと大きな数の量子ビットや、さらに複雑な回路をつくるのには、もう少し時間がかかるだろう」

 量子コンピュータは,充分なサイズが実現できれば,たとえば素因数分解の計算速度が飛躍的に向上することがわかっている。現在のインターネットの暗号システムの多くは素因数分解が基礎になっているため,仮に近い将来,量子コンピュータが実現されれば,現行のインターネット暗号システムは大幅な進化を余儀なくされる。

 革命的な技術革新は近いのか,それとも,いまだ夢の領域にすぎないのか,今後の実験面での進展に注目したい。



カリフォルニア大学サンタバーバラ校教授のA.N.Cleland氏


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