●NY紀行4 愉しいブラックアウトの巻
NYの夜が明けた。

昨日は、午後四時くらいに街が大騒ぎになった。

ホテルの窓からマジソン・アベニューを見下ろすと、街が人であふれている。人は舗道から大幅にはみ出しているし、団子になっているし、立ち止まっているし、どこか様子が変だ。かと思うと、道路を走っている車も、同じように団子になっている。



消防車と救急車とパトカーが、けたたましくサイレンを鳴らして、クラクションを大音量で鳴らして、しまいには、消防士が車から降りてきて、「手動」で邪魔な車を「整理」しはじめた。

火事なのか?

そう思って、ホテルの窓から首を出して、ロックフェラーセンターの方角を覗くと、なにやら黒煙らしきものが空に・・・。

まさかテロなのか?

気がつくと、街の大混乱は、信号機が点いていないのが原因のようだ。
ホテルの電話も通じない。
こりゃあ、一階のフロントまで行って、事情を訊くよりないな。
だが、勘の鋭いオレは、部屋を出るとき、ある重大事項に気がついた。

『重大事項 ホテルは完全に電子化されており鍵穴は存在しない』

そうなのだ。このホテルに物理的な鍵は存在しない。あるのはカードに記録された「情報」のみ。ということは・・・。ふふふ、オレの動物的な勘は的中した。扉のカードの差し込み口のランプが完全に消えている。そうなのだ。この扉は「死んでいる」。

つまり、いったん、外に出たが最後、閉まった扉は、二度と開かない。フロントはマスター・カード(クレジットカードではない、念のため)は持っているだろうが、そもそも電気系が完全にイカれているのだから、なんの役にもたちはしない。無用の長物。足手まとい。ただのプラスチック。

オレは、すばやくスリッパを扉の隙間に滑り込ませて、「退路」を確保したあと、クオリア片手に一階のロビーまで降りていった。無論、エレベーターではなく、階段をつかって。

なんて慎重かつ冷静なオレ。

ホテルのロビーは、不安にさいなまれた観光客で一杯になっていた。アタマを抱えて、
「マンマ・ミーア」
と叫ぶイタリア男・・・汗だくになって、通じない英語でフロントに食ってかかるドイツ女、乳母車の中で泣き叫ぶ赤ん坊をあやしている・・・国籍不明の夫婦・・・。

だが、沈着冷静なオレは、フロントの顔なじみの紳士の前まで歩いていて、
「What's going on?」
「It seems be a massive blackout, sir」
「You mean the whole city?」
「The radio says Toronto, Detroit, Cleveland...they're all out」
「Hmmm...That means I can't go ××××ing tonite」
「Would you like me to cancell your reservation, sir?」
一瞬、そんな思いが脳裏を横切ったが、××××の予約をキャンセル・・・と言っても、実際は、電話も通じなくて、キャンセルもできなかったんだけど、マンハッタン全体の機能が麻痺してんだから、オレの知ったこっちゃない。
 
ふ、トロントだと?

おおかた、カナダの発電所に落雷でもして、東部一帯が真っ暗になっちまった、ってなとこじゃないのか? アホくさ。

むろん、オレの論理的な予想は正しくなかったことが、あとになって判明するのだが・・・。

真っ暗なマンハッタンの夜景ならぬ「無景」は幻想的じゃった。滅多に見られないよ、コレ。ホテルの窓からは、マジソンを南北に埋めた車列の赤いテールランプだけが見えて、舗道では、早くも帰宅をあきらめたニューヨーカーたちが酒盛りを始めた。(ホント)



タクシーを拾おうとしている女性が、すでに三回も乗車拒否されている。
「クイーンズまで帰りたいだって? バカ言うんじゃねえよ。この数珠繋ぎの列を見てみろよ・・・500ドル出すなら別だがよ、My lady」
なんて運ちゃんに言われてんだろうな。しかも現金で。
 
この時点で、オレは、きわめて重大なことに気がついてしまった。
「パンツがない」

うん?

さっき、オレは、約五キロの重さの洗濯物をホテル近くのラウンドリーまで運んでいって、
「あとで取りに来るからな」
と置いてきたばかりなのだ。

まだ靴下とTシャツは残っているが、肝心のパンツが一丁もにゃい。
オレの額を冷たい汗が一粒したたり落ちる。

まずい。

実にまずいシチュエーションじゃ。停電により洗濯屋は洗濯ができない。オレはパンツがない。

街に出て下着を買おうにも、停電と同時に、「屋台」を除く、すべての店舗は「閉鎖」された。すでに夜中の略奪にそなえているのか? それとも、完全に電気化されたマンハッタンにおいて、電気の供給を断たれた店は、単なる「部屋」と化したのか。

しかたないので、持参した海水パンツをジーパンの下にはくことにした。とりあえずパンツという点では同じじゃからな。
 
ちょっと感動したシーンがある。

停電から二時間ほどたって、街じゅうが車でひしめきあって、四車線のマジソンも車とバスとタクシーですし詰め状態になって、誰も身動きがとれない情況・・・どこかで火事が発生したらしく、消防車がサイレンを鳴らして走っている・・・消防士が車から降りて、次々に進路を塞いでいる車に駆け寄っては、もの凄いジェスチャーで、
「おらおら、どけー! NY火消しのお通りでぇい!」
てな感じで「押し出して」いた。

根気よく、じりじりと車を押しのけて、火事の現場に向かう「FDNY」の姿は、まさに江戸の町火消しさながら。

ここは、たしかに悪い奴も大勢いるけれど、どこか凄い街だぜ。



→NY紀行5
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