猫はカガクに恋をする?

 猫好き科学作家が贈る カガクと恋愛の新感覚ファンタジー


解説

●第七章 補足など

・相対性理論
 相対性理論は、いったい、なにが「相対的」なのでしょう? 逆に「絶対性理論」というのもあるのでしょうか?

 実は、誰もが学校で教わるニュートン力学こそが「絶対性理論」なのです。(誰も絶対性理論とは呼びませんが!)なぜなら、ニュートン力学では、宇宙の時間の流れは一つしかありませんし、また、空間の尺度も一つしかないからです。ニュートン力学は、絶対時間と絶対空間をもとに構築されているのです。

 それに対して、宇宙には、たくさんの時間の流れとたくさんの空間の尺度(=ものさし)がある、というのが相対性理論なのです。つまり、相対性理論の「相対性」は、時間や空間が唯一絶対的な存在ではなく、あくまでも相対的なものだ、という意味なのです。

 しかし、そんなことがあるでしょうか? もしも時間の流れがたくさんあるのだとしたら、地球上でみんなが必死になって「正確な時計」をつくる必要などないように思われます。正確というのは、どこかに絶対に正しい時間の流れがあって、それに近づける努力のはずだからです。

 今では相対性理論が正しいことはテクノロジーの領域で実証されています。携帯電話やカーナビでお馴染のGPSは、地球の上空2万キロにある人工衛星が要(かなめ)ですが、地上の時計とGPS衛星の時計とは、進み方がちがっているので、常に補正しないといけないのです。地上の時計とGPSの時計は、どちらかが絶対ということはありません。互いに相対的なのであり、どちらもそれなりに正しい時計なのです。ただ、人間がGPS衛星ではなく、地球上に棲んでいるために、便宜上、GPS衛星の時計を補正して、地上の時計に合わせています。

 宇宙には、無数の時の流れがあり、長さがあることに初めて気づいて、それを理論化したのがアインシュタインだったのです。

・リーザル
 リーザルの運命については、生まれてすぐに死亡したのではなく、里子に出されたため、アインシュタイン本人もリーザルの生死について知らなかった、という説もあります。

 その根拠は、1935年に名乗り出た偽リーザルについて、アインシュタインが探偵を雇って調査させていた事実です。もし、リーザルが生まれて間もなく死亡していることをアインシュタインが知っていたならば、わざわざ探偵を雇って調べる必要はない、というのです。

 しかし、リーザルに一度も会ったことがないアインシュタインにしてみれば、実は、「リーザルは死んだ」というのは妻ミレーヴァとその実家からの伝聞情報でしかありません。ですから、万が一ということを考えて探偵に調査させたとしても、さほど不思議ではないでしょう。

 さらにいえば、仮にアインシュタインがリーザルの死について確信があったとしても、ごく少数の人間しか知らないリーザルの存在がどいうやって洩れたのかをつきとめる意味もあったことでしょう。

 いずれにせよ、リーザルの運命は、アインシュタインの伝記作家を悩ませる最大の謎なのです。

・宇宙定数
 宇宙定数は真空に存在するエネルギーで、いうなれば「万有斥力」のようなものです。斥力というのは、引力の反対で「反発力」のことです。真空にそのようなエネルギーが存在すると、宇宙は、自然に膨張することになります。なぜなら、空間そのものが反発力によって互いに遠ざかるからです。

 アインシュタインは、宇宙がもっている重さによる引力が、真空の宇宙定数による斥力とつりあって、宇宙は膨張もせず収縮もしない、と考えました。しかし、後に宇宙が膨張していることが天文観測からわかったため、自説を撤回したのです。

 しかし、アインシュタインの死後半世紀が過ぎた今、宇宙定数は復活しつつあります。
 現在では、天文観測の精度が格段に上がったため、宇宙が加速膨張していることが判明したのです。その加速膨張の原因として有力視されているのが、アインシュタインの宇宙定数です。

 天才の直観は、半世紀という長い年月の後に、正しかったことが証明されつつあります。驚きというほかはありません。

・統一理論
 アインシュタインが晩年、骨身を削って研究したのが統一理論でした。アインシュタインの存命中には、重力と電磁力しか知られていませんでした。ですから、アインシュタインは、重力と電磁力を統一的な理論の枠組みで説明しようとしたのです。(ちょうど、マクスウェルという物理学者が、電気と磁気を同時に説明する方程式を発見したのと同じように。)

 しかし、現在では、重力と電磁力のほかに、二種類の核力があることがわかっています。つまり、統一理論は、四つの力を統一する必要があるのです。 見方を変えると、統一理論とは、宇宙や銀河といった巨大な世界で通用するアインシュタインの重力理論(=一般相対性理論と呼ばれています)と、原子や素粒子といった極微の世界で通用する量子力学を統一的な枠組みで説明することだといえます。(電磁力と二種類の核力は量子力学で扱われます。)

 量子論と重力理論の統合、という意味で、それは「量子重力理論」と呼ばれますが、いまだに未完成なのです。

 近い将来、アインシュタイン級の天才物理学者が登場して、アインシュタインの見果てぬ夢を実現するのでしょうか・・・。

・祖父殺しのパラドックス
 本文中で、透とエオウィンが過去に戻っても、自分たちに会わなかったことを不思議に思われたかもしれません。

 タイムマシンで過去に戻って、自分の祖父を殺したら、自分も生まれなくなるから矛盾する、というのが有名な「祖父殺しのパラドックス」です。

 古来、物理学でもSFでも、さまざまな解決策が提案されてきました。

 たとえば、宇宙論学者のスティーヴン・ホーキングは、「祖父殺しのパラドックスを回避するために、物理法則は、過去への時間旅行を禁止している」という内容の仮説をたてています(時間順序保護仮説)。

 あるいは、この宇宙の他に無数の平行宇宙が存在し、タイムマシンは、「別の」宇宙の過去へと旅するだけなので、そこで祖父らしき人物を殺しても、「この」宇宙で生まれた自分には影響しない、と考える人もいます。

 本書では、通常の量子力学の重ね合わせの概念を多少フィクション化し、現在と過去でも重ね合わせが可能だ、というストーリーを使っています。ですから、過去に戻って自分たちと出逢った透とエオウィンは、現在の彼らと過去の彼らの重ね合わせになっているのです。重ね合わせなのですから、だぶっても二人(二匹)にはなりません。

・アルバート(アルベルト)・アインシュタイン(Albert Einstein) 一八七九年〜一九五五年
 あまりにも有名な人物なので、このような解説が必要かどうかはわかりませんが……アインシュタインは、ドイツ生まれの理論物理学者です。既存の「物理学」の概念を根底から覆した相対性理論の提唱者として、二十世紀における最高にして最大の巨人、天才の代名詞となっている人物です。名前の表記ですが、アルバートは英語読み、アルベルトはドイツ語読みです。アインシュタインはドイツ国籍を捨て、最終的にはアメリカに帰化していますので、本文中では「アルバート」とさせていただきました。

 アインシュタインの最大の功績は、やはり相対性理論の確立でしょう。しかし、ノーベル賞は相対性理論における功績にではなく、「光電効果の法則の発見(光量子仮説)」に与えられたものなのです。この論文が発表されたのは一九〇五年。この年、アインシュタインは「光量子仮説」「特殊相対性理論」「分子の大きさの新しい決定法(後に、「ブラウン運動の理論」に発展)」に関する論文を計五つも発表しています。それゆえ一九〇五年は「奇跡の年」と呼ばれるようになりました。アインシュタインの内に秘められた才能が、一気に放出されたかのような年でした。

 しかし、博士号を取得するために提出した「特殊相対性理論」に関する論文は、その内容があまりにも既存の物理学の概念とかけ離れていたものだったからでしょうか、はたまた大学側の頭が追いつかなかったからでしょうか、受け入れられなかったのです。それで急遽、「分子の大きさの新しい決定法」という論文を出し、博士号を取得したのでした。

 本文中でも少し触れましたが、アインシュタインは量子論を生涯否定し続けました。
「神はサイコロを振らない」という、有名な言葉を残しています。ですが、アインシュタインが最初に手がけた論文は「光量子仮説」。量子論でノーベル賞をもらっているにも関わらず、言い出しっぺの本人は、どうしても納得がいかなかったようです。

 ちなみに、本文中で触れた通り、アインシュタインが最初に世に出した「特殊相対性理論」の手書き原稿は、現在も行方不明のままです。「特殊相対性理論」の草稿は、一九四四年に競売で六百万ドルで落札されているのですが、これは手元に元の原稿がなかったため、アインシュタイン本人が書き直したもので、現在は連邦議会図書館に保存されています。オリジナルは、本人が無くしてしまったのか、はたまた、どこかの誰かが貰っていってしまったのか……それは未だ、謎に包まれたままなのです。
 
 一八七九年 ドイツ ウルム市に生まれる

 一八八〇年 アインシュタイン一家、ミュンヘンに移住

 一八八八年 ルイボルト・ギムナジウムに入学 その後父親が事業に失敗し、アルバートをミュンヘンに残して一家はイタリアへ移住

 一八九五年 ドイツの軍国主義的教育を嫌い、ルイボルト・ギムナジウムを退学し、一家を追ってイタリアへ行く。その後スイスのアーラウ州立学校に通い、チューリッヒ連邦工科大学を受験するが失敗。

 一八九六年 アーラウ州立学校を卒業し、チューリッヒ連邦工科大学に入学。ドイツの市民権を放棄する。

 一九〇〇年 チューリッヒ連邦工科大学卒業。しかし大学に職を得ることはできず、高校などの代用教員を務める。その後スイスの市民権を取得。

 一九〇二年 ベルン連邦特許局の三球技師専門職に採用される

 一九〇三年 ミレーヴァ・マリッチと結婚

 一九〇五年 光量子仮説、博士論文、ブラウン運動の論文を完成させる

 一九〇七年 等価原理を発見

 一九一二年 母校であるチューリッヒ連邦工科大学の教授に就任

 一九一四年 ベルリン大学の教授となるが、ドイツを嫌ったミレーヴァは子供達を連れて別居

 一九一五年 一般相対性理論を完成

 一九一九年 将来のノーベル賞の賞金を慰謝料とする約束をし、ミレーヴァと離婚。従姉のエルザと再婚。

 一九二二年 日本へ向かう。その船上で、ノーベル物理学賞受賞の知らせを受ける

 一九三二年 プリンストンに向けて出発。これが事実上のアメリカ亡命となる。

 一九三六年 妻のエルザ 死去。

 一九三九年 ルーズヴェルト大統領宛の原爆開発を勧める書簡にサイン

 一九四〇年 アメリカの市民権を得る

 一九五一年 イスラエルの大統領に推薦されるが断る

 一九五二年 妹マヤ 死去

 一九五五年 アインシュタイン=ラッセル宣言に署名。無二の親友、ミケランジェロ・ベッソ死去。アインシュタイン自身も大動脈瘤破裂でプリンストン大学病院に入院したが、手術を拒否し続けた。四月一八日未明、ドイツ語で何かを呟き、永眠。最後の言葉は、看護婦がドイツ語を解さなかったため、永遠の謎となった。

・参考URL
アインシュタインの1925年の論文の草稿。1905年の「相対性理論」の論文にもこのような草稿があったはずなのですが・・・。
http://www.lorentz.leidenuniv.nl/history/Einstein_archive/


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