猫はカガクに恋をする?

 猫好き科学作家が贈る カガクと恋愛の新感覚ファンタジー


解説

●第一章

量子論

 量子(ルビ:りょうし)という言葉の意味ですが、まず、「子」は「小さい」という意味でしょう。そして「量」はそのまま「測ることができる」という意味です。両方あわせて「量子」は「測ることのできる最小の単位」ということになります。

 量子は粒子とはちがいます。

 たとえば米粒は粒子なので、似ていても、別々の粒子は区別がつきます。同じ米粒でも「個性がある」のです。ところが、同じ種類の量子は区別がつきません。量子には「個性がない」からです。(もちろん、ちがう種類の量子は区別がつきます。)

 誰でも知っている量子の例としては、電流のもとになっている「電子」や、原子核をつくっている陽子や中性子などがあります。あるいは、宇宙から地表に降り注ぐ宇宙線の成分であるミュー粒子や、人間の身体や地球をすり抜けて行ってしまうニュートリノなども量子の仲間です。

 量子は波ともちがいます。

 量子どうしはぶつかってもすり抜けたり、互いに強め合ったり弱め合ったり、穴を通ったあとに回り込んだりするので、波の性質をもっています。でも、実際に観測してみるとフィルムの上の「点」になってしまうので、単なる波とはいえません。

 量子は、粒子であると同時に波であり、粒子でないと同時に波でもない、不思議な存在なのです。

 ちなみに、量子「論」ということばは、シュレディンガーにより基礎方程式が発見される前の量子の学問のことを指します。シュレディンガー方程式が完成してから後は量子「力学」と呼ぶようになりました。

 量子は、一見、われわれの生活とは無縁に思われますが、エレクトロニクスの世界はほとんど量子の世界なので、われわれは、知らず知らずのうちに量子力学の恩恵に浴していることになります。

シュレディンガーの猫の思考実験

 本文でもシュレディンガーのところでも説明が出てきましたが、それでもわかりにくい概念だと思うので、少し補足しておきましょう。

 まず、「思考実験」というのは、エルステッドという物理学者が最初に使い始めたとされる言葉で、現代風にいえば「脳内シミュレーション」のことです。今ならコンピューターでシミュレーションをしますが、昔はパソコンもスパコンもありませんでしたから、哲学者や科学者は自分たちの頭の中で状況を設定して、シミュレーションを行なっていたのです。

 思考実験は、実際に実験をするわけではありません。

 ところで、シュレディンガー自身は実在論者でした。ですから、自らが発見した方程式が、実在するモノをあらわすのではなく、実験値を入れて予測結果が出るための便利な数式にすぎない、といわれて怒ったのです。そして、そういう主張(実証論といいます)をする学者たちに反論するために、
「君たち実証論者の主張が正しいのであれば、生きていて死んでいる猫、という奇妙キテレツな結果に達してしまうゾ」
 と警告を発するために論文を書いたのです。(歴史的には、シュレディンガーの反論は役に立ちませんでしたが!)

 たしかに「生きて死ぬ猫」は存在しませんが、今では、たとえば、右回りであり同時に左回りであるような電流が流れる回路をつくることが可能であり、あるいは、同時に離れた二ヶ所に存在する量子をつくることも可能になっています。

 ミクロの世界では、シュレディンガーの猫は立派に存在するのです。

不確定性原理

 不確定性原理は、シュレディンガーのライバルであったヴェルナー・ハイゼンベルクにより発見されました。

 量子はあまりに小さいので、まさに「吹けば飛ぶような」存在です。ですから、量子を観察しようと思っても、すぐにどこかに行ってしまいます。量子の居場所は不確定なのです。逆にいうと、そのような不確定な存在のことを「量子」と名づけるのだと思っていただいても結構です。

 不確定性にもいろいろな種類があります。

 たとえば、たくさんの量子がある場合、その総数も不確定です。実際、われわれのまわりでは、常に量子が生まれたり消えたりしています。それを量子の生成・消滅といいます。量子論は仏教の世界観と凄く似ており、そのため、晩年、宗教的な思想に深く入っていく量子物理学者が多いのです。

 現代物理学の最高峰である量子論は、どこか深いところで、宗教世界とつながっているのかもしれません。

実在論と実証論

 何かが「ある」とはどういうことでしょうか?

 たとえば、目の前の珈琲カップは確かに「ある」のでしょう。触ると堅いし、落とせば割れます。でも、映画『マトリックス』のように「実はこの世界そのものがコンピューターのシミュレーションの世界だった」という意味で、目の前の珈琲カップはバーチャルな存在でしかない可能性もあります。バーチャル・リアリティは「ある」のでしょうか? CGやアニメの世界は「ある」のでしょうか?

 そうやって突き詰めて考えてゆくと、何かが「ある」かどうかは、さほど簡単な問題でないことに気づきます。

 ヨーロッパの哲学の歴史においては、この世界や物体が「ある」という立場と、「あるかどうかわからない」という立場が戦いを繰り広げてきました。「ある」と主張する人々を実在論者、「あるかどうかわからない」と主張する人々を実証論者と呼びます。

 実在論の考えは、ふつうの常識と一致します。しかし、実証論の考えは、ちょっと理解するのが大変なので、具体例で説明してみましょう。

 たとえば、ここにF=maというニュートン力学の方程式があるとしましょう。Fは力、mは質量(=重さ)、aは加速度です。実証論の立場では、測定により、加速度aがわかり、やはり測定により力Fがわかったなら、この方程式を使って、質量mが計算できる、と主張します。しかし、実証できるのはそこまでであり、問題にしている物体が「ある」かどうかは不問に付すのです。

 ようするに実証論の立場では、数式や実験で証明できることだけを問題とし、そもそも、物体が「ある」かどうか、というような哲学的な問題は科学では扱えない、と考えるのです。

 シュレディンガーやアインシュタインは実在論の立場でした。しかし、量子が「ある」かどうかについては、多くの論争がなされ、最終的に、実証論の立場の人々が(ほぼ)勝利を得ました。

 量子は、あまりにとらえどころがなく、モノの性質が希薄なために、「ある」とは言い難い存在なのかもしれません。

シュレディンガー方程式

 シュレディンガー方程式はこんな恰好をしています。



 iは虚数単位で、iの2乗はマイナス1です。(ふつうの数は2乗すると必ずプラスになりますから、2乗してマイナスになるのは「虚しい」という意味で「虚数」と名づけられました。)hに横棒が刺さったものは量子を特徴づける物理定数で、プランク定数とかディラック定数と呼ばれています。∂/∂tは「微分」をあらわす記号です。Ψは「波動関数」と呼ばれており、量子の状態をあらわす関数です。Hは「エネルギー」の意味をもっています。

 なんともケッタイな方程式で、これだけの説明では、意味不明といわざるをえませんが、学校で教わるニュートンの方程式と同じように、物理学者たちは、シュレディンガー方程式を使って、量子のふるまいを計算するのです。

・エルヴィン・ルドルフ・ヨーゼフ・アレクサンダー・シュレディンガー(Erwin Rudolf Josef Alexander Schrödinger) 一八八七〜一九六一

 うーん、やたら長い名前ですね(汗)

 ウィーン生まれの理論物理学者で、彼の名前がついている「シュレディンガー方程式」は、量子力学の基本方程式として有名です。しかし、シュレディンガーは、量子力学の確率解釈には反対の立場をとっていました。そこで思考実験として編み出されたのが、本文中にも出てきた「シュレディンガーの猫」だったわけです。
「五十パーセントの確率で生きていて、五十パーセントの確率で死んでいる猫なんて、ありえないだろうが!」

 それがシュレディンガーの主張だったのです。

 そもそも、物質が量子のふるまいをするのは、マイナス何十度という超低温か、もしくは、1ミリの100万分の一(「ナノ」という領域)より小さな極微の世界なのです。そのような世界では、物質が、五十パーセントの確率でココにあり、五十パーセントの確率でアソコにある、という奇妙な現象が起こります。

 ですから、今でも、「シュレディンガーの猫」という名前が入った物理学の専門論文は出続けているのです。

 ちなみに、シュレディンガーが「シュレディンガー方程式」のメモをゴミ箱に捨てたかどうかは、作者にもわかりません。
 
 一九〇六年 ウィーン大学に入学

 一九二一年 チューリッヒ大学教授に就任

 一九二六年 シュレディンガーの波動方程式を導きだし、波動力学を展開させる。そのことが、量子力学の確立に多大な貢献をした

 一九二七年 ベルリン大学教授に就任

 一九三三年 ノーベル物理学賞を受賞 ナチス・ドイツの台頭と時を同じくしてドイツを去る。最後にはアイルランドのダブリンに亡命した。

 一九四四年 著書「生命とは何かー物理的にみた生細胞」(邦訳 岩波新書)で、分子生物学の道を開く

 一九五八年 著書「精神と物質ー意識と科学的世界観をめぐる考察」(邦訳 工作舎)で、精神世界の分野へも進出

 一九六一年 一月四日 没

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