父親の仕事の関係で、子供の頃、幾度となく引っ越しと転校をくりかえした。だから、僕には生まれ故郷というべき場所がない。ニューヨーク市クイーンズ郡の第14小学校に通っていた僕の親友の名前はヘンリーだったし、贔屓(ひいき)の野球選手はNYメッツのトム・シーヴァーだった。

  三つ子の魂百までというが、僕にはいまだに放浪癖のようなものがあって、一箇所に定住することができない。それどころか、もうすぐ四十にならんとするのに、いまだに一度も定職についたことがなく、結婚とも縁がない。僕は、いつも人生をブラブラと散歩している。

  人生だけでなく、僕はよく町を散歩して回る。
 
  町を歩いていると、ふと何気ない路地裏に過去への扉があいていたりする。それは何も建築が古いとか歴史的な記念物が残っているとかでなく、わけもなく、はるか昔への郷愁というか、過去への回帰の感覚が呼び覚まされるのだ。

  過去へタイムスリップしながら、僕はよく自分の系譜に思いをはせた。母方の曾祖父は、富国強兵の明治時代、ドイツに学んで帰国し、日本初の溶鉱炉を設計したが、やがて疑獄事件に連座して失脚し、歴史から抹消された。毎日クレオパトラの風呂につかっている、などとあらぬ噂をたてられた曾祖母は、亡くなる直前、愛宕山下(あたごやました)の生地を訪れ、自分が生まれたときに植えられた桜の木にしばし見入っていた。桜の木は、歴史の波に翻弄(ほんろう)された主人たちのことなど忘れたかのように、今も春になるときれいな花を咲かせる。

  いつのまにか日本の閉塞(へいそく)状況に耐えられなくなっていた僕は、大学を出てから7年ほどカナダのモンレアルに逃げていた。モンレアルは、古フランス語で「王家の山」を意味する。北米のパリともいわれ、街ではフランス語と英語が入り交じり、奇妙にアンビヴァレントな雰囲気を醸し出していた。このルイ王朝時代の植民地は、やがてイギリスとの戦いに敗れ、英語系の住民による政治経済の支配の波に飲み込まれていったが、70年にはフランス系住民の独立の機運が高まり、血なまぐさい闘争の末、政府高官の暗殺を機に戒厳令がしかれ、街は治安部隊の戦車であふれかえった。過激派の「反乱」は鎮圧され、治安は回復したが、フランス系住民の希望は、200年前と同じ怨念となって残った。

  80年代のモンレアルには、日本人は数えるほどしかいなかった。そこで僕が目にしたのは、華やかな表舞台に生きる商社の駐在員や外交官と違って、どこかしら複雑な過去をひきずって、日本から逃避してきた、糸の切れた凧のごとき若者たちの群れだった。たとえば、元全共闘の「落ち武者」が場末のビルの一角に空手の道場を構えていたりした。そんな若者の一人にアメリカ人の父親と日本人の母親をもつYがいた。

  幼い頃に両親が離婚したYは、引き取り手もなく、ずっと寄宿舎暮らしだったが、モンレアルの大学に入学すると、母親が用意した瀟洒(しょうしゃ)なコンドミニアムに独りで住むようになった。Yは、いつも腹違いの弟のポートレイト写真を持っていた。そのセピア色の写真は、なぜかくしゃくしゃで、そこに写っている金髪の少年は、なんだか、見知らぬ「姉」の愛情と憎悪に困惑したかのような表情を浮かべていた。

  あるとき、ヴィユ・モンレアルを二人で散歩していると、Yは、ふいに、自分は何百年も前に一族とともに自害して果てた平家のお姫様の生まれ変わりなのだ、とつぶやいた。

  モンレアルの冬は厳しい。日中の気温が零下20度という日も珍しくなく、鉛色の空と凍(い)てつく大気の中、ビルや家屋のボイラーの白煙が戦いの御旗(みはた)のようにたなびく。ダイアモンド・ダストがきらきらと宙を舞い、人々は、街中に張り巡らされた地下鉄と地下道を利用するもぐらになる。僕は、夏になると、独り、旧市街、ヴィユ・モンレアルを散策したものだ。ルイ王朝時代の入植地の面影をとどめるヴィユ・モンレアルは、長い冬の鬱積(うっせき)を晴らさんとするかのように、人波でごったがえし、週末になると、世界各国から集まった花火師たちが、ジャック・カルティエ橋を背景に瞬間の美を競いあう。

  古来、世界の聖地の多くは宗教と民族が交錯し、血なまぐさい闘争の舞台となってきた。ネイティヴ・アメリカンたちの聖地を奪ったフランス人たちは、この地にノートルダム寺院を建立(こんりゅう)し、山のてっぺんに巨大な十字架をたてたが、やがてイギリス人にしてやられた。

  モンレアルの修道院を舞台にした宗教サスペンス映画にジェーン・フォンダ主演の「神のアグネス」がある。若い修道女の出産と嬰児殺しに犯人はいるのか。それとも、すべては神の奇跡だったのか。ありえない過去を発見した主人公は、やがて、事件を迷宮入りとして閉じる。ここには、20世紀後半の合理的思考に慣れ切った人類が失ってしまった、謎を謎のままに残しておく、素朴な宗教感覚が根づいている。それは、ネイティヴ・アメリカンからフランス人、イギリス人へと引き継がれ、街で話される英語とフランス語のアンビヴァレントな緊張の隙間に潜んでいる。

  モンレアルで、僕は、しばしば、あのタイムスリップ感覚を味わった。だが、そこには、もはや自分の先祖は登場しなかった。王家の山の十字架の近くから眺めるモンレアルのオレンジ色の夜景は、明治の製鉄所でもなく、平家の落ち武者でもなく、なにか、もっと広くて普遍的な宗教感覚のようなものを僕の中に喚び起こした。

  モンレアルは、僕が長い間、探し求めていた故郷を与えてくれたのかもしれない。そして、ありえない過去を受け入れるようになった僕は、やがて、誰にも見送られることなく、この「聖地」をあとにした。