Making of the Terror at Terra


7 執筆

しばらく間があいてしまった。そろそろ「漂流密室」も発売間近なのでメイキングもがんばって完成させなくては。

肝心の執筆に入る。
これは、作家によって大きく個人差があると思うが、僕の場合は、基本的に「夜書く」。それも、近隣が寝静まった丑満つ時。カタカタ、カタカタ・・・マックのキーボードを叩く音が室内に響きはじめる。

つかっているワープロは「クラリスワークス」。基本的にシンプルなワープロが好きなのだが、縦書きができないとダメ。エディターをつかうという手もあるが、最近は、もっぱらクラリスワークスじゃな。以前は、EGワードとかMACワードとかもつかっていたけど。

いわゆる「ワード」は、互換性のことを考えて購入したことがあるが、僕には使い勝手がよくなかったので、やめた。機能がたくさんあって重すぎる。あくまでも、僕には合わないということです。

横書きで書くか縦書きで書くか。実は、いろいろと試してみた。

「ディオ」は横書き。
「虚数の眼」と「イフからの手紙」は縦書き。
「漂流密室」は横書き。

横書きでぎちぎちに詰めて書いた。そして、全体ができあがった時点で、簡単な校正をやってから、一気に縦書きに変換。すると、縦組みで変な部分がでてくるので、それを修正する。

さすがにシリーズ四作目ともなると、文体も(最初と比べて)読みやすくなってきたはず。漢字の使い方とか、それなりに工夫している。最初は、ありのままに書いていたけど、最近は、いろいろと研究している。

文章のお手本になる作家とそうでない作家がいるが、司馬遼太郎の文章は、ものすごく参考になる。きちんとした「法則」のようなものがありますね。なるべく動詞はひらがなにするとか、ムズカシイ漢字でも漢字自体の美しさやイメージが大切なときは、あえて使うとか。何の気なしに漢字にしてしまうところを、わざとひらがなにする。そして、ひらがなでもいいところを、あえて凝った漢字にする。熟練の技であるが、こういうのを「こだわり」というのだろう。そして、読者は、その流れるような文体に魅了される。

残念ながら、僕の文体は、洗練されていないし、はっきりいって、巧いほうではない。そういう自覚はある。あと、お手本になる文章は、やはり、京極夏彦。長編詩のような美しいリズムがある。これは、ちょっと、真似できない。

個人的には泉鏡花の文章が好きだが、時代がちがうので、漢字の使い方など、いまでは受け入れられないだろう。
 
小説でも科学書でもそうだが、最初のうちは、断片的に、書きたいところ(書けるとこと)から書きはじめる。その日の気分で、哀しい部分や犯人の吊し上げの部分やアクションの部分など、文章がすらすらと出てくるところを断片的に好きに書く。

そのうち、原稿用紙換算で50枚くらいできてくると、徐々に断片化が解消し、基本的には「ストーリーのはじめ」から書いてゆくようになる。これは、自然にそうなる。最初から、「ストーリのはじめ」から書きはじめればいいようだが、なぜか、できない。無理に最初から書こうとすると、まったく、はじまらないのだ。

文法の問題とかは?たとえば、「書きはじめれば」というのは「ら抜き」であるが、完全な地の文のときはつかわない。だが、「私」という一人称の地の文のときは、平気でつかう。それは、
話し言葉の延長だからだ。当然のことながら、会話の中でもつかう。

もともと高校でも文系で源氏物語ばかり読まされていたせいか、文法は、かなり徹底的に仕込まれた。現代文法は、やはり、古典文法の基礎がしっかりしていないとだめだと、最近になって、高校の先生に感謝している。東京教育大学の附属高校にかよっていたので、先生には恵まれていた。国語の学位をもっている先生が高校で教えているというのも国立大学附属高校の恵まれた教育環境だといえるだろう。

そういう環境、あまり、破壊してほしくないな。でも、破壊されるのだ。

原稿用紙で500枚から600枚を書くのに、だいたい、三ヶ月かかる。まん中の一ヶ月がコアの月で、集中して、400枚くらい、一気に書いてしまう。前後の二ヶ月で、残りの200枚ができる感じですね。

調子にのって書いているときは、真夜中にヘッドフォンをつけて、音楽をガンガン鳴らしながら書く。

さて、第一章を公開していますが、実際に印刷されたものと、微妙に食い違うことにお気づきになっただろうか?とりあえず完成すると、編集者に送ると同時にモニターをやってくる読者にも送る。

一週間くらいで返事がきて、みんなからの感想と留意点などを考慮しながら、さらに二週間くらいかけて、書き直す。編集者からは、おもに、トリックと論理に関連した注意がきて、「密室性を増すように」とか「●●のキャラが薄いので書き込め」とか、直しのポイントがわかる。

モニターからは、おもにキャラクターのふるまいとか、必然性とか、トリック以外の感想が多い。この時点で、読者を怒らすような部分は、なるべくやめる。ミステリー小説は、人に読んでもらうためのものだからだ。編集者とのやりとりが二回くらいあって、ようやく、ゲラになる。

ゲラになってからは、細かい直しが入る。編集者が附箋を貼ってきて、部分的に手を入れることになる。ゲラは再校でほぼおわるが、場合によっては三校がある。(「知の創造」などは念校まである!)

前作までは作家の推薦ももらっていたが、編集者がやってくれる。ただ、僕が「お願い」の手紙を書くこともある。快く引き受けてくれる人もいるが、待ってましたとばかり、批評をはじめる人もいて、ちょっと驚く。作家にもいろいろな人がいて、競争相手を蹴落とそうというような人格に問題のある人が多いように思う。はっきりいって未成熟の人格だ。

推薦を断ってくる場合、「よくいうよ、てめえ、何様のつもりだ」と怒鳴り返したくなるような説教調が多いのはなぜだろう。結局、この世界は、売れてる奴の勝ちなので、人格が破綻していようがなんだろうがかまわないのだが。

ああいう醜い作家の生態、読者が知ったら、どう思うだろう。作品さえ売れれば、作家の人格なんて関係ないのだろうな。

推薦に関しては、いいたい放題いわれて、かなり、辱められた。怒り鬱積。会社だけでなく、大学も作家の世界にも人格破綻者はいる。今回は、著者の言葉に代わりました。ホッ。


8 図版など

図版は、今回、屋久島の地図以外は自分で描いた。科学書の場合でも、「宮沢賢治・時空の旅人 文学が描いた相対性理論」とか「アインシュタインとファインマンの理論を学ぶ本」などは、すべての図版を自分で描いた。

マセマティカもつかうが、おもにアドビのイラストレーターをつかう。ヘタうま?イラストでお金をもらっているわけじゃないので、まあ、許されるであろう。だが、ブルーバックスや「ゼロから学ぶ量子力学」のように「図案」だけを考えて、あとは専門のイラストレーターがやってくれると、正直いって、ホッとする。

最近、歳とったんじゃよ、わし。

外回りについては、すでに書いた。そろそろ、本屋さんの店頭に「漂流密室」が並ぶころだろう。アンケートにご協力いただいたみなさま、後日、グリペンさんと相談の上、御礼のプレゼントを考えます。とりあえず、シュレシャツをつくるか、湘南珈琲にするか、ゲラにサイン(誰もいらないだろうな)とか。8月中にプレゼント企画を考えるつもりですので、グリペンさんのニュースに注意していてください。

それでは、次回は、「アルファロメオでグッドバイ」(新潮社)でお会いしましょう。できれば今年中に!

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