3月15日 その1執筆前まで

小説の執筆にもいろいろなスタイルがあるらしい。僕は、ずっと科学書をやってきたので、「ディオ」は科学書と同じように全体の構成をがっちりと決めてから「演繹」的に書いた。でも、結局は、あとからたくさん手直しをしたので、かなり構成に無理が出てしまった。

結果?朝日新聞と活字倶楽部の書評は誉めてくれたが、デヴューの餞(はなむけ)という意味合いで、「次に期待しよう」という意味だったと理解している。
  
方々で悪口を書かれてしょげていたが、編集の本間さんの、「書きたくて書けない奴が悪口を云うんだよ。とにかく三冊がんばれ、かならず人気が出る」という言葉を信じて、続けることにした。

二冊目の「虚数の眼」は、「ディオ」よりも評判が良かった。これは、書き方を少し変えて、最初からすべてを決めてしまうのではなく、半分は「帰納」的に書いてみた。また、実験的に、主人公たちの心情もちょっぴり描いてみた。これが意外に好評。自分の心象風景をストレートに書いても怒られないのだということがわかった。

人と別れたり、愛し合ったり、憎しみ合ったり、そういった内面も描いていいのか。ミステリーだといけないのだとばかり思っていた。先入観というのは怖い。

もっとも、あまり好意的でない書評もあって、連載中の雑誌に同年代の先輩作家が先輩風吹かして「ディオ」の批判を展開していたのには驚いた。おまえ、なに先輩面してんだよ。たしかに俺は駆けだしだが、てめえとは人生経験からしてちがうんだよ。何度も修羅場をくぐってきたんだ。鍛え方がちがう。後で吠え面かくなよ。デヴューしたての新人を叩くのは性悪(しょうわる)と相場が決まっている。会社にもいるだろう、ほら、新人いじめに意欲を燃やしている奴。
  
いやだねー。
  
こういう奴をみると虫唾が走るっての。科学書で十年やってきたけど、自慢じゃないが、新人をいたぶった覚えはない。愛の鞭なんて嘘っぱち。競争相手を潰そうって魂胆が見え見えだろうが。けっ。おとといきやがれってんだ。

いかん、悪口を云われると頭にカーッと血が上る。喧嘩するのは車を運転しているときだけにしよう。

書き下ろしの三冊目。今、書いているのが「イフからの手紙」。予告では、「リトルプリンスの刻印」だったが、サンテグジュペリの生誕百年に重ねるのがわざとらしいので嫌になった。相変わらず天邪鬼(あまのじゃく)。そこで、急遽(きゅうきょ)、シノプシスを書き換えた。

書き始める前に、作戦を練る。

1 幸四郎は人気がないので端役に落とす
2 葵と冷泉が人気あるみたいなので主人公格に上げる
3 視点を定めて書いてみる
4 説明が多すぎると云われたので会話を増やす
5 ハイソな人々ばかりで反感を買うそうなのでフツーの人も登場させる
6 あまり人をたくさん殺さない
7 子供を殺さない(お母さんの人から文句がきた)
8 警察は登場しない

実際に書き始めてみると、いろいろと作戦どおりにいかないことがわかった。なになに、どこらへんがうまくいかないのか?

それは、次回のお楽しみ。あの、編集の本間さんと交渉して、第一章くらいサイトに載せたいんですが、どうなるかわかりません。amazon.comなんかでは、第一章が載っていることが多い。面白ければ本を買ってくれると思うのだが。

周三郎「兄貴の場合は、危険な賭になるんじゃない?」  
  
ぐぐ。いつも言い返せないのが悔しいのじゃ。


3月22日 その2執筆開始

しょっぱなから遅れに遅れた。「科学の終焉2」の翻訳が遅れたので、玉突き状態。本来は、12月に書き始めて正月明けには原稿を出すはずだったが、なにしろ、翻訳が終わったのが1月の終わり。

2月に入ってすぐから「イフ」にかかる。もっとも、プロットは、すでに書いてある。え? どんな体裁か?それでは、ちょっとお見せしましょう。一部だが、実際に版元に提出したものなのじゃ。


プロローグ

横浜の元町で買い物をしている葵。アメリカの回想。幸四郎に対する葵の感情は、父親への甘え、先生(指導者)への信頼、そして男性としての要素が入り交じったアンビヴァレントなもの。

偶然、幸四郎をみかける葵。幸四郎は、花屋で小さな花束を買うと、山を登って外人墓地へ。密かに後をつける葵。そこで葵が見たものは・・・
 
幸四郎にみつからないようにしてお墓を調べ、過去帳から誰の墓参りだったのかを推理する葵。

第一部 葵

逗子の葵の家。快晴で海がよく見える。おばあちゃん登場。二人の会話に九州のことがでてくる。

葵の運転する車が故障。レッカーされることに。すぐに来たレッカー屋は、若くてさわやかな好青年Mと女子大生風のU。レッカー車の中で,ふたりが、葵の母親と同郷(熊本)の出身だということがわかる。葵はふたりに好感をもつ。やがて九州に里帰りするというMとU。ふたりは恋人ではなく、親戚で、MのところにUが遊びに来ているのだという。年齢が近いこともあって、意気投合する三人。レッカーや車のうんちく・・・

はい、ここまでです。あんまり出すとストーリーがバレてしまうのでな。版元では、こういった資料と元に会議を開いて、湯川薫に本を書かせるかどうか決めるわけ。だから、担当編集者との二人三脚で、編集者ががんばって会議を通してくれないと、本は書かせてもらえない。ベストセラー作家の場合、依頼原稿になるわけだが、依頼する前に会議をやるわけ。といっても、出せば必ず10万部売れるのがわかっている作家の場合、会議でボツになることはほとんどない。

うーむ、しかし、編集長が大嫌いとか、社長が首を縦に振らないという可能性はある。やはり、最終的には、担当編集者が「やりたい」と思って、なおかつ、同僚の編集者も、 「それならやれば」と邪魔をせず、編集長も局長も社長も拒否権を発動しなければ、作家に依頼がくるわけ。

大物の作家でも、担当編集者の意見が通らないことはある。いろいろあるようです。ちなみに、前に出した本の成績が悪いと書かせてもらえないことは多い。だから、一冊ごとが勝負なわけで、一度、こけると後がない。

話が先走るが、原稿ができてから、発行部数を決める会議がある。ここでは、販売担当の人々が、純粋に経済的な見地から意見を出して、編集者の希望的観測と折り合いがついて、初版の部数が決まる。僕の場合、新書版だと、1万5千。科学もので1万8千。最近、科学ものは重版だよ、と知らせが入るようになったが、ミステリーは、もうちょいです。売り上げは一作ごとに増えているので、上り調子なのじゃ。

ええと、関係のない話ばかりで申し訳ない。このほかに、自分用にキャラクターの詳細を書いた資料もある。今回は、菅原道真が関係しているので、九州の熊本で行なった取材資料を整理して、さらに、紀伊国屋のオンラインで菅原道真の資料を集めまくる。あと、神田の古本屋もインターネットで検索して、とにかく関連資料を集める。

資料を待っていては遅くなるので、資料と関係のないシーンから書きはじめる。特にキャラクターの過去の部分などは不思議と力が入る。

「キャラクターって実在人物ですか?」

この質問は多いのだが、半分イエスで半分ノー。名前は知っている人物から借りることが多い。でも、容貌や性格は、そのままということはない。だから、特定のモデルがいるわけではない。ううむ、かなり似ている人もいるにはいるが・・・

「好きなキャラクターは、実人生でも好きですか?」
  
イエス。感情移入しないと書けないので、好きなキャラクターは、理想型だと思います。当然、嫌な奴もそのまま登場させる。原稿用紙で100枚くらいまでは、すーっと行く。事件が起きるところまで。その後、200枚あたりで、一度、担当編集者の本間さんから、「見せてよ」とメールが入ったので、三日ほど手を入れてから送った。
「これまでで一番、読みやすい」
留意点などのアドバイスが来て、ホッと安堵のため息をつく。

一日、原稿用紙15枚くらい書く。週に100枚だが、所用で書けない日もあるので、そう簡単には終わらない。一日100枚書く人がいるそうだが、おそらく、口述筆記なのだろう。手でも書けると思うが、少なくともきちんと見直す暇はないはず。かなりのベストセラー作家が口述筆記に頼っているらしい。そのほうが文章の密度が低くなって、かえって読みやすいのだという。もっとも、一週間で一冊書いてしまう人もいるわけで、ちょっとびっくり。

ソフトドリンクとスナックとステーキは違うのだから、いろいろなタイプの人がいていいと思う。僕の場合は、高島屋のお子さまランチというところか。(意味わかります?)お子さまランチが好きなのじゃー。

続く。



4月8日 その3執筆終了間近

あ、執筆記、もう終わりですか?

いえいえ、まだ、終了間際なので、もう少し続きます。終了の回と、モニターと編集者の直言の回と、書き直しと書き足しの回・・・今回は、とりあえず、当初の計画がどのように挫折したかについてご報告したいのじゃ。一回目に書いたが、最初は、

1 幸四郎は人気がないので端役に落とす
2 葵と冷泉が人気あるみたいなので主人公格に上げる
3 視点を定めて書いてみる
4 説明が多すぎると云われたので会話を増やす
5 ハイソな人々ばかりで反感を買うそうなのでフツーの人も登場させる
6 あまり人をたくさん殺さない
7 子供を殺さない(お母さんの人から文句がきた)
8 警察は登場しない

というような方針をたてたわけです。それで、葵と冷泉を出して書き始めたのじゃ。そこまでは良かった。ところが、視点を定めてみると、いろいろと問題が出てきた。特に、厳密にやろうとすると、かなり動きが取れなくなることがわかった。たとえば、葵の視点で厳密にやると、葵が見ていないものは読者にも見えないわけで、これは、非常に景色が限定されてしまうわけ。当たり前の話だが、これまでは、視点は「神様」の視点で好き勝手に飛んでいたので、いきなりの制限は非常にきつい。

というわけで、視点は決めるが、ずるをすることにした。つまり、とりあえず、誰かの視点で書くが、ちょっと神様の視点でも見てしまう。ま、規則が先に来て、がんじがらめになってもいたしかたない。きちっと視点を決めて書くのが目的ではないので、今回は、まぜこぜにしてしまう。いずれ、かちっとした視点でも書いてみたいけど。時期尚早。いやはや、腕が未熟なんですな。自覚。

ハイソな人ばかりだと感情移入できないで人気も出ないということで、もっとふつうの人を登場させることにした。ところが、この人、いつのまにか、なんだかハイソ系になってしまった。うーむ、困ったわい。

会話は、極力、増やすようにした。でも、まだ、理屈っぽい説明が多いなー。作者が理屈っぽいのだから、なかなか、なおらん。幸四郎を出さないことも考えたのだが、結局、探偵が出てこないとダメなので、謎解きは、幸四郎がやることになった。おまけに、警察も出さないはずだったのに、気がついたら、出しゃばりの木田と九鬼が遠路はるばる事件現場まで出張してきてるじゃないか!誰だ、こいつらを呼んだのは!

と、果たして、作者が誰なのか、頭の中に別人が住んでいるのではないか?うーむ、最終的に、7番の子供を殺さないところだけ、なんとか守ることができそうです。あれ? でも、子供が出てくるんじゃよね。どうして?まさか・・・

続く。


6月1日 その4最終回

イフ執筆記を読んだ徳間の本間さんから、
「湯川さん、あんまりネタ、ばらさないほうがいいよ」
と言われたので、しばらく休載。

いわゆるネタバレ掲示板というのもあるが、著者が出版前にバラしていたのでは元も子もない。でも、ついつい書いてしまうのじゃー。「イフ」は、ようやく、最後を書き直して、図版も十枚ほど描いた。ラストが今ひとつの出来だったのだが、ようやく満足できる終わり方になった。

原井さんがつくってくれたポップアニメは、もちろん、ラストには触れていないので、そのままでオーケーです。この前、書いたことを全て忘れたので、話がつながらないが、あしからず。

図版は、時空図の作成に苦労した。世の中にはふつうの地図でさえ読めない人がいるのに、その地図に時間経過を入れた時空図など、ホントに理解してもらえるのか?ちょっと心配。

電車の時刻表から時空図(鉄道ダイヤグラム)をつくる方法を付録に載せた。これは簡単で、

1 縦軸に距離、横軸に時間をとる。
2 時刻表の駅の場所(たとえば東京駅からの距離)に、何時に電車が発着するか、×印をつける
3 たくさんの駅と発着時刻に×印をつける
4 同じ電車の×印を線で結ぶ

「え? なんで、わざわざ、こんなことするのさ。時刻表があれば充分じゃん」
いえいえ、時刻表は、あくまでも素人向けのもの。鉄道ファンや鉄道会社の人は、ちゃんと時空図を使っている。
  
なぜなら、時刻表は、駅という「点」における発着時刻だけを抜粋したものだから。駅と駅の中間地点での通過時刻もわからないと、列車どうしが正面衝突したりして危なくてしかたない。すべての列車が、いつ、どこにいるのか、全体像を一気に俯瞰(ふかん)する必要がある。だから、時空図は鉄道員(ぽっぽや)には欠かせないのだ。

というわけで、「イフ」には時空図が出てきます。ちなみに、みんなの苦笑を誘う、例のうまへたイラストは入っておりませんので、ご安心を。

最後を何度も書き直していたので、出版時期がちょっとずれ込みます。そのぶん、最後は面白くなったと自負している。この本、僕としては、かなり勝負をかけているので、それなりに文章表現も練ったつもり。応援、よろしく!



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