Dの虚像
「e-本格」の科学者作家

 
 
最近のミステリーには、「本格」とか「新本格」とかいうジャンルがあるらしい。この区別がよくわからないが、自分なりに定義すると、トリックのために現実にあり得ない設定を作らないのが「本格」で、トリック中心主義で、そのための荒唐無稽な設定もOKというのが「新本格」ということだろうか。難しいのは、ここで検証している技術レベルのリアリティーと、現実レベルノリアリティーが重ならないこと。工学部助教授だからといって森博嗣のように現実感のない作品を書く「新本格」もいる。

 そうしたなか、東大で科学哲学と物理学を専攻し、モントリオール大学で博士号を取得という経歴を持つ理科系作家が、本作の湯川薫という人。『ディオニシスの耳』『虚数の眼』(共に徳間書店)など、テッキーというか科学者らしいミステリーはちょっと頭でっかちな印象ながら、技術レベルのリアリティーについては読者のほうが検証されるほど高度な内容だ。

  青年協力隊の赴任先での事故で婚約者を無くした医師、和田又三郎は、傷心での帰国直後、巨大な男が少女を連れ去り虚空に消えていく光景を目撃する。この誘拐事件に乗り出したのが、又三郎と同じ下宿人であるサイバー探偵、橘三四郎。三四郎は、届けられたDNA暗号による脅迫文を解読し、少女を無事に救出する。ところが、その父の昆虫学者が、自宅の密室化された研究室で、自らが趣味とする拷問刑具の研究そのままに串刺しにされて発見される。事件の鍵である「D」をめぐり、三四郎の科学知識が駆使される。

  マイクロドットのDNA暗号解読はともあれ、マッキントッシュ版のLinuxを使うサイバー探偵が「どうして純正品のソフトだけを使わなくてはならないの?」(P.19)と語る冒頭からもわかるように、コンピュータ技術面でも濃い話。PGPでエンコードされた「BEGIN PGP MESSAGE」以下の文字列をそのまま掲載した(P.74)小説は初めてだろうし、ハッカーとクラッカーだってちゃんと区別している。全編パソコンが登場しっぱなしのサイバー探偵の話だから、当然かもしれないが。
 
  赤外線暗視カメラ、レーザー光線によるマインドコントロールなど、素人向け最新技術もちゃんと入れ、DNA暗号、PCR法、アミノ酸のL型、D型などについては、巻末「三四郎の科学談義」がフォローする。問題は、先の「本格」「新本格」という区分で、この作者はどっちに属するのかと言うこと。むろん現実にはあり得ない話だが、科学技術的な根拠はリアル。差し当たり「e-本格」という新ジャンルに入れておこう。


福富忠和氏(コラムニスト)
株式会社インプレス社「iNTERNETmagazine」 2001年4月号P.354 Net Reviewsより



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