ニューヨークの描写は、私自身の幼少時の記憶を手繰り寄せて書いたもので、多少、1993年当時とは食い違いがみられるかもしれないが、それは、それでかまわないと思っている。

  夏時間のトリックは、ゼロから自分で考えたものだが、『黒後家蜘蛛の会3』(アイザック・アシモフ、池央耿訳、早川書房)に夏時間のトリックがあり、『解体諸因』(西澤保彦、講談社)にも夏時間ではないが同様のシチュエーションがみられる。まったく同じものはないと思うが、万が一、どなたかがお書きになっていた場合は、どうか、ご指摘ください。ただし、私は、いくつかのトリックの合わせ技で書いており、メイントリックというものはないので、その点はご理解いただきたい。

  メインは、むしろ、五人の歌仙の数字に隠された「凶」の字なのであり、これは、完全なオリジナルだと思う。百人一首と百人秀歌が「魔法陣」になっているという説の火付け役は織田正吉さんだと思うが、本書に直接、影響を与えたのは、太田明さんが発見した五人の歌仙のあいだの奇妙な数字の符合である。以前、太田さんの著書の推薦文を書いたことがあり、それ以来、この数字の符合が気にかかっていた。その後、ミステリーでも高田崇史さんが百人一首と魔法陣をとりあげて話題になった。だが、私は、五歌仙の数字の符合が数学的に偶然ではありえないとの結論に達し、その「意味」の追求に取り憑かれるようになっていった。実際、モンテカルロ法をつかって計算をしてみると、それが偶然である確率は、二億分の一程度であることがわかる。(五歌仙の番号をパソコンの乱数で発生させて、その数のあいだに符合が生じるかどうかみるのである。たとえば、乱数を百回発生させたうちの一回だけ、数字のあいだに符合がみられたら、確
率は百分の一という具合だ。実際のプログラムはサイトにて配付可。)

  私は、数字の符合の鍵は陰陽道にあると睨んで、考察に耽ったが、いつのまにか、むなしい月日が過ぎた。そんなある日、整体師の鴨井聖往先生にからだの歪みをボキボキと直してもらっているとき、
「数字と陰陽五行なら治部眞里さんに訊ねたらよかろう」
といわれ、ハッと気がついた。身近に「答え」を教えてくれそうな人物がいたのだ。

  私は、早速、治部さんあてに、
「五歌仙の数字の奇妙な符合には陰陽道の意味が隠されているという確信がある。だけれど、僕にはわからない」
と、助けを求めた。しばらくたって、治部さんからメールが届き、そこには「凶」の字が書かれていた。というわけで、これは、「太田=湯川=治部説」と呼ぶことにしたいが、いかがであろう。

  かなりの数の文献とインターネットによる検索もおこなったが、これまで、百人一首と百人秀歌の五歌仙に「凶」の字が隠されているという説はみたことがない。だが、この説が正しいのであれば、それは、少なくとも冷泉家には伝わっていたにちがいないし、古今伝授の一部であった可能性もある。また、本書の京極教授のように、個人的に気がついていた人はいただろう。

  万が一、すでに公の文献で「凶」の字の存在を指摘したものがあれば、「太田=湯川=治部説」という名前は取り下げることにしたい。私としては、あくまでもミステリーの遊びのつもりなのである。

  なお、最後に「凶」の字をひっくり返したのは、私である。


湯川薫