ブンガクとカガクの不思議

 最近、現役の大学生や高校生や中学生(!)が小説を書き始めて、本屋さんの棚は大変なことになっている。
 かつては、芥川賞といえば、新人作家の登竜門というよりも「文学の天才」のお墨付きのような存在だったが、中学生でももらえる、ということになると、僕のような中年男のアタマは混乱してしまう。
 芥川賞が子供向けになったのか、それとも昨今の若者たちは遺伝子の突然変異で「超人」と化したのか。
 そもそも、文学というのは、日本文学の古典や名著をことごとく読破し、人生経験と感性をあわせもつ、ほんの一握りの人が就くことのできる職業ではなかったか。
 それなのに、気がつくと、「マンガしか読んだことありません」と臆面もなく言い放つ子供が、文学賞をもらって作家として活躍している。
 いったい、世の中、どうなってる!
 だが、あるとき、テレビでホリエモンとフジテレビの攻防を見ていて、ハッと事情が呑み込めた。
 ようするに、恐るべき子供たちが担う「ブンガク」は、ベンチャー・ビジネスだったのだ。若者が立ち上げるベンチャーに過去の実績はいらない。下積みの苦労話とも無縁だ。やってみてうまくいけば生き残るし、ダメなら店じまいする。それだけのこと。
 今、文学界で起きていることは、無数のベンチャー作家の新規参入現象にほかならない。
 実は、似たようなことは科学の世界でも起きていた。2002年度のノーベル化学賞である。企業の主任で、博士号ももっていなかった田中耕一さんがノーベル賞をもらって、日本列島は、そのシンデレラ・ストーリーに湧いた。
 あのときだって、表にこそ出なかったものの、サイエンスライターである僕の耳には、科学界からの色々な陰口が聞こえてきたものだ。(何年も受賞を心待ちにしていた)エライ博士たちの多くは、自分たちを飛び越して、フツーの人がノーベル賞を獲ったことにショックと戸惑いを隠せなかった。
 でも、田中さんもベンチャーの成功例だったのだと解釈すれば、ショックは少なくてすむ。田中さんは、たしかにオーソドックスな化学者ではなかったかもしれないが、彼は化学ではなく「カガク」をやっていたのだ。そう考えれば安心できるではないか。
 ああ! とはいえ、僕のような中年男は、どこか心にポッカリと穴が開いた感じがして淋しい。できれば、芥川賞やノーベル賞は、昔のように「憧れ」の存在であってほしい。でないと、夢がなくなっちゃうぜ。

(ダイヤモンド社「Kei」2005年4月号掲載)