クレヨンで数学を - 『四色問題』

 古いクレヨンを抽斗から引っ張り出してきて、久しぶりに塗り絵をやってみた。『四色問題』という本に触発されたのである。いい歳して、子供の塗り絵なんぞやりながら、僕は、改めてこの問題の難しさを実感した。
「四色問題」とは「地図を塗るのに最低何色あればいいか」という問題だ。一見単純なように見えて、実は、奥が深い。
 数学用語としての「地図」という言葉は、「あらゆる種類の一般的な地図」という意味をもっていて、現実の地図である必要はない。
 早い話が、将来、戦争や政変などによって、世界地図がどのように塗り替えられようとも、その地図を塗り分けるのに何本のクレヨンが必要になるか、という問題なのである。
 興味深いことに、実際に地図を製作している人々は、ほとんど、数学的な意味での「四色問題」など意識していないのだそうだ。
 あくまでも純粋数学の問題なのである。
 本書は、しかし、単なる理系向けの数学書ではない。
 この本には二本の大きな柱がある。
 一本目は、数式を交えた四色問題の数学的な解説。二本目は、四色問題に挑戦し、挫折して行った多くの数学者たちの「夢」の歴史??。
 たとえば、

   FーE+V=2

 という「オイラーの公式」(Fは面、Eは辺、Vは頂点の数)が出てくるかと思えば、

「この定理はまだ証明されていないが、その理由は、挑戦したのが三流数学者ばかりであるからだ」

 という刺激的な言葉に遭遇する。これは、公衆の面前で四色問題の証明に取りかかったミンコフスキーという大学者が、数週間も格闘したあと、

「わたしの四色問題の証明も間違っていた」

 と尻尾を巻いて退散した話なのだ。
 こんな逸話もある。
 パーシー・ジョン・ヘイウッドという数学者はクリスマスの日にしか時計を合わせなかったそうだ。なぜか?

時計が狂うペースを心得ていた彼は、時刻を知る必要があるときには、いちいち暗算をしていたのである。伝えられているところによると、あるとき同僚に時刻を尋ねられた彼は、「この時計は、二時間進んでいるのではなくて、一〇時間遅れているのだ」と答えたという。

 面白い、実に面白い。キッカイな数学者たちのキテレツな性癖。もう落語顔負けの痛快さだ。
 本の終盤になると、最終的に四色問題を解いたヴォルフガング・ハーケンとケネス・アッペルの最後の格闘やライバルたちとの競争が綴られる。ハーケンとアッペルの証明は、コンピュータを駆使して千時間以上もの計算が必要だったため、世界中に賛否両論の渦を巻き起こした。人間様がチェックできない計算など、はたして数学の証明たりうるだろうか?
 この哲学的ともいえる問題については、僕なら、逆にこう問いかけたい。
「コンピュータが高速になって計算時間がたった一分だったら誰も文句など言わないのではないか?」
 いや、四色問題の証明と同様、その哲学的な意味合いも、さほど単純ではあるまい。
 一数学ファンの僕としては、やはり、クレヨンで塗り絵をやってみて、四色問題を実感することとしよう。

(新潮社「波」2004年12月号掲載)