珍説・奇説? 賢治の星

 話は、一九九四年にまで遡る。
 当時、カナダ留学から帰ったばかりで、文字どおり「宙ぶらりん」の状態で遊んでいた私は、黒崎宏先生に拾っていただいて、非常勤講師として、成城大学で文芸学部と経済学部の学生を相手に「自然科学概論」のような授業を受けもつことになった。それで、いきなり、授業で「相対性理論」の話をはじめたところ、どうやら、学生の数パーセントしか授業についてこられないらしいという、恐ろしい現実に気がついた。
 翌九五年に、私は、ある工夫を思いたった。
 科学と縁が深く、作品に相対性理論や天文学のレトリックを多用した宮沢賢治を「カモフラージュ」として題材につかうことにしたのだ。
 授業は、それなりの成功を収めたように思うが、いつのまにか、「脱線」がはじまった。相対論だけでは、間がもたないので、自腹で学生に星座早見を配って、賢治の作品の「場面検証」をやっていたのだ。ところが、次第に、そちらのほうが面白くなって、しまいには、相対論はそっちのけで、星座早見をくるくる廻してばかり。
 調子に乗って、授業で「解明」した事実をもとに九六年には、「宮沢賢治・時空の旅人」(日経サイエンス)、「宮沢賢治の星座ものがたり」(河出書房新社)の二冊を上梓した。
 だが、ここでも大脱線。
 厳密な天文学的考証だけでなく、どうでもいい「語呂」に埋没した結果、肝心の論点がぼやけてしまい、宮沢賢治研究者のほとんどからは黙殺され、珍説・奇説というありがたくない評価をいただくこととなった。
 珍説・奇説というのは、ようするに私が大きな勘違いをしており、通常の常識をもった人間には理解しがたい主張をしている、という意味であろう。つまり、私は、頭が変だとみなされたわけだ。
 とはいえ、私の身近にいる人々は、私が気ちがいではないことを知っているので、今回、この会報の編集に携わっている加藤茂生氏から「賢治と星について書いたらどうか」といわれ、汚名返上の好機とばかり、いそいそと原稿を書いているような次第。

 くだらない前口上が長くてゴメン。
 そろそろ、本論に入ろう。

 賢治の「銀河鉄道の夜」では、汽車の中でカムパネルラが星座早見らしき丸い不思議な地図を廻している。そして、ジョバンニとのあいだで、次のような会話がかわされる。

「もうじき白鳥の停車場だねえ。」
「ああ、十一時かっきりには着くんだよ。」

 さらには、検札にきた車掌の意味深長な言葉がある。

「よろしゅうございます。南十字(サウザンクロス)へ着きますのは、次の第三時ころになります。」

 ここらへん、通常の文学部の読解では、おそらく、素通りしてしまうシーンだろう。
 だが、実際に星座早見を廻してみると、いきなり、賢治の広大な宇宙が開けてくる!
 紙面の都合上、いきなり「解読結果」を披露すると、この場面は、おそらく、八月十二日から十三日にかけて展開しているのである。なぜなら、はくちょう座は別名が「北十字」であり、北半球では、八月十二日の午後十一時に南中し、南十字座は、その四時間後の三時に南半球で南中するからである。
 うん? わかりにくいですな。
 こういうことである。手元に北半球用の星座早見を用意して、周囲の目盛りを「8月12日ー23時」に合わせてみたまえ。すると、北の十字(はくちょう座)がど真ん中にくるのである。次に、南半球用の星座早見を用意して、目盛りを「8月13日ー3時」に合わせてみたまえ。すると、南の十字がど真ん中にくるのである。(北十字が南中した4時間後は8月13日午前3時。このとき南半球にあつ対蹠点では8月12日の午後3時であり、南十字の南中時刻。)
 宗教や十字架が「銀河鉄道の夜」の大きなモチーフになっていることは明らかであり、南北二つの十字の星座が、作品にでてくる時間どおりに南中するのは偶然とは思えない。
 あれ? それがどうした? あたりまえではないか?
 だが、当時、私が賢治と星に関する文献を調べたところ、この天文学的な事実をはっきりと書いてある本や論文をみつけることはできなかった。賢治研究家のプラネタリウムの学芸員が、「本を読んで驚いた」と、大学の授業を参観しにきたので、話を聞いてみると、どうやら、南半球の星座早見まで廻して場面検証をするほど暇な人はいないのではないか、と言われた。(実は、そういう暇な人は、大勢、いたと思う。だが、論文になっていないか、なっていても誰も注目しないのだろう。そういうことは、ままある。)
 それにしても、なぜ、八月十三日未明なのか? 賢治が、この日付と時間を選んだのだとしたら、なにがしかの理由があったにちがいない。
 そこで登場するのが、「賢治の星」という竹内仮説である。

竹内仮説 賢治には(秘密の)心の星があった

 これについても、書きはじめると切りがないので、途中をはしょって仮説の論拠を述べると??

論拠 「銀河鉄道の夜」、「よだかの星」、「双子の星」、「シグナルとシグナレス」といった、星がモチーフになっている賢治の作品を星座早見を用いて場面検証してみると、必ず、青白い燐のような星が登場する。その星は、どうやら、きりん座やカシオペア座やおうし座のすばるの近くにあるらしい。

 こんな感じになる。
 たとえば、「よだかの星」の場所を考えてみよう。

 ・・・そして自分のからだがいま燐の火のような青い美しい光になって、しずかに燃えているのを見ました。
 すぐとなりは、カシオピア座でした。天の川の青じろいひかりが、すぐうしろになっていました。

 肉眼で見ると青白い一つの星のように見えるが、望遠鏡で見ると、二つの散開星団だとわかるような天体が、この場所に存在する。それは、きりん座の足元であり、カシオペア座のとなりであり、おうし座のすばるとも近い。
 賢治の星の正体やいかん?

結論 賢治の心の星はペルセウス座の剣の柄(つか)の部分にある、ペルセウス座のh(エイチ)とχ(カイ)、NGC869と884である。

 だが、ここで、素朴な疑問が生じる。賢治の作品には、アンドロメダやカシオペアは頻出するが、ペルセウスなどでてこないではないか。そんなに好きな星なら、作品に名前がたくさんでてきてしかるべきではないのか?
 実際、たとえば、「原体剣舞連(はらたいけんばいれん)」という詩には、「方刃の太刀をひらめかす」とか「首は刻まれ漬けられ」とか「アンドロメダ」まで登場するのに、なぜか、剣でメドゥーサの首を落とした主役であるペルセウス本人はでてこない。
 だが、文学作品は、新聞のニュースや科学書のように直接表現だけでなりたつ世界ではない。
 私は、現在、七冊目の小説を書いているのだが、最近になって、ようやく、「作家」の心境が少しはわかるようになってきた。本当に大切なことを、そのまま、直接、書くのは野暮の骨頂なのではあるまいか? だから、賢治も、あえて、心の星の正体を書かなかったのではないのか? だとすれば、作品にでてくる頻度によって、賢治が好きだった星座を決めるなどというのは、芸術家の内面を無視した方法論ではないのか?
 まあ、それは、個人的な憶測にすぎない。
 もっと説得力のある論拠は、「銀河鉄道の夜」において、北と南の十字が、それぞれ、指定された時刻に北半球と南半球の星座早見の真ん中にくる、八月十三日という日付と関係する。

論拠 八月十三日の未明には、ペルセウス座の大流星群がみられ、hとχは、流星群の起点にあたる

 そうなのです。もし、賢治の心の星がペルセウス座のhとχだとすると、「銀河鉄道の夜」の場面設定が八月十三日である理由も、おのずから説明がつくのである。賢治の心の星は、ペルセウス座の剣の柄にある双子星(双子の散開星団)であり、八月十三日の未明には、その剣の柄を中心にして、放射状に流星が飛び出すのだ。これこそは、まさに星祭りであり、銀河鉄道の夜にふさわしい場面設定ではあるまいか?

 あっという間に紙面が尽きた。
 最後に、もう一つだけ、竹内仮説をクイズにして、切り上げることとしたい。

クイズ 「銀河鉄道の夜」の第三次稿にまで登場する「ブルカニロ博士」が星座と関係しているとすると、その正体は、なんだろうか?

 ふふふ、ここら辺から、語呂による悪のりの領域にかかってくるので、やはり、珍説・奇説といわれてもしかたないかもしれないな。ただ、「まちがいだ」と決めつける前に、できれば、星座早見を廻して、ご自分で検証してみてくだされ。

付記

 私は、「銀河鉄道の夜」にでてくる「天気輪」という造語は、「きりん座」だという仮説も提出したが、友人で宮沢賢治研究家の伸時哲郎氏から先行論文の存在を指摘された。藤田栄一氏による「天気輪は天のきりん座かも」(「雪渡り8」弘前・宮沢賢治研究会 一九九三年)という論文である。
 
東京大学「科哲の会」会誌第4号(2002年)所収